Q&Aよくある質問
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質問

寺に使用する立華を扱う当社について寄せられる質問をご紹介します

寺に使用する立華を販売している当社では、お客様から寄せられる質問に分かりやすくお答えしております。

購入方法等、何かご不明な点がございましたら、こちらをご確認いただき、そのほかご不明な点については、気兼ねなく当社にお問い合わせください。

立華をお寺に飾ろうとお考えでしたら、本物以上のクオリティーで、ご利用いただいたお客様からもご好評の有限会社翔栄まで、気兼ねなくお問い合わせください。 当社はオーダーメイドのものから、お手入れ簡単なものまで、お客様のニーズに合わせた商品をお届けしております。 また当社では、お客様からご連絡をいただいた際、ご不明な点を解決できるよう丁寧な対応をしていることはもちろん、Q&Aのページでお客様からよくいただく質問にお答えしておりますので、ぜひ一度ご確認ください。

悟りと覚りの違いはなんですか?

悟りはお釈迦様ご自身の悟りを意味します。

覚りは大乗仏教で大衆の覚りを意味しています。

三誓偈に出てくる正覚とは大衆にお釈迦様の覚りを習得させる手段にたどり着いた事を書き表しています。

つまり、幾つかの事をきちんと覚えてくれたら、それが覚りの種になってくれることを意味しています。

覚えれば済む。 と書いて覚って済われる。 更には目覚めます。目覚めて初めてご信心と言えるのです。

親鸞聖人は大乗仏教の目的。目標。手段の全てを完璧に読み解いて居られますが、今の浄土真宗はあることをきちんと習わないから覚えれば済む話が全く出来なくなってしまって居ます。

 

日本中で起こって居る寺離れをどう思いますか?

親鸞は大乗仏教の目的、目標、手段を全て完璧に読み解きました。

現状東西両本願寺は、完璧に親鸞を見失って居ます。

理由は東西で共通も有れば別の理由も有ります。

現状のままでは、どちらも百%見放されます。重症は西本願寺です。御堂衆が大谷に移ったことで称名や立華が相続されませんですた。すると機の甚深が相続されません。平たくいえば横着者ばかり。機の甚深が育たなければ決して仏の本願に出遭うことはありません。

加えて、布教使を資格試験制度にしました。こうなると全員、聖典と言う根拠を元に話しますから、聖典に無いものは存在しません。仏の願いは、方便を使って味合いで伝えますが、お荘厳の意味。つまり心を味わう力が欠落します。ここでも仏の願いに出遭う可能性はゼロになります。母親に自分をどれほど愛して居るか紙に書いてもらって初めて愛されて居ると気づく薄ら馬鹿になるのです。

3つ目の理由は打敷の謂れと目的を知らないことです。大乗仏教では釈迦の悟りを実現する為に方便を用います。その最も大事な前提条件。それは打敷は摩訶迦葉の知恵を表し、打敷の上はお釈迦様の直説だと言う絶対の条件を知らない為に、お荘厳からご聴聞をしないから仏に出遇いません。

西本願寺のトリプル馬鹿と呼んでいます。

次に大谷派ですが、御堂衆の移動に拠って称名や立華が相続されましたし、伝統的に勉強しない宗派ですから、」良い意味で文献主義に陥りませんが、同じく打敷の謂れと目的を知りませんので、三具足が仏の直説だと知りませんのでご聴聞がないのです。特に立華は活けて居るときには機の甚深。一旦打敷の上に置けばそれは法の甚深。お釈迦様が何を語って居られるのかをしっかり聞かなければならないのに、聞かない。くたびれ損の状態です。

でも可能性は有ります。約四割のお荘厳大切派の皆様に立華の決まり事が何かをお伝えしてそれが全て仏の願いであることを学んで頂ければ機法一体は大谷派しか実現できない事を自覚して頂く事です。きちんとした立華の決まり事を覚えれば機法一体を語れる住職になる可能性を持った居ますし仏のご本願が何かをご門徒の皆様にお伝え出来るようになるのです。

問題は、華も活けず、荘厳にも興味を持たず、勉強もせず、しかも大乗の大前提を知らないトリプルアホが約六割居て、これが本ばかり読むトリプル馬鹿を講師に呼びますから、訳が解らない話しか出来ませんし、活字オタクは味わう力が極端に弱く、味覚障害者だから文献オタクをしているのですが、味わいを主観だ!独断だと吠えますから始末が悪い。トリプルアホがトリプル馬鹿を講師に呼び続けて居る限りは西本願寺と同じく仏に出遭う事はありません。

お荘厳を駆使すれば、知恵も中道も縁起の理法も無碍の一道も皆様に周知できるのです。

何故寺離れが起こるのですか?

宇佐市に教覚寺と言う大きな寺がありますが、何時行ってもお花はお粗末。

生花を挿さず人工樹を突き刺しただけ。翔栄の立華をお勧めして、立華で知恵や中道がお伝えできる話をすると、「所詮花でしょ!池坊と真宗は関係ないですよ!」立華は華厳で実は本堂も華厳に基づいて作られていると言うと「あぁ!あれは天台を真似ただけで何の意味もないですよ!」「そもそも親鸞さんが花を活けたなんて文献は何処にもないんだから!」

呆れてものが言えませんが、所詮西本願寺の九割はこの程度です。近くの別院に伺って理由が解りました。花も普段は省略する宗派だったのですね。中央香台がぽつんと置いてありました。

これは打敷の上はお釈迦様の直説と言う大乗仏教の大原則を知らないからこのような行為や発言ができるのです。

打敷の上の三具足はお釈迦様が私たちに話しかけて下さっています。勅命と言う方も居られます。何故お香は清浄光仏なのか?何故お花は歓喜光仏なのか?何故おろうそくの炎は知恵光仏なのか?本来のご聴聞とはこの意味を深く考える事です。ご聴聞をしない者には仏様との出遭いは決してあり得ません。仏に出遭った方だけが念仏できるのです。念仏した人だけが本願を知るのです。本願を知った人だけが浄土の本質を知るのです。浄土の本質を知った人だけが済いの本質を知るのです。済いの本質を知った人だけが信心が定まるのです。

つまり教覚寺の住職は間違っても仏に出遭いません。従ってご聴聞もしませんから問いに学ぶ学問も一切いたしません。すると気付きが一切ありませんから、ご門徒の皆さんにその仏の声をお取り次ぎできません。住職の最優先の仕事はこのお取り次ぎです。お取り次ぎを今後も一切する可能性の無い住職はただの不労者です。寺で暮らす者ではありません。仏様の願いは意味。つまり意(こころ)を味(あじわう)ことです。勉強では全く解りません。問いに学んだ深さがその人の人生の深さです。気付きは変化します。それが浄土への歩みなのです。

皆さんは寺に行ったら先ず本堂の花を見て下さい。ズク挿しの花を奥さんや母親に活けさせて居る住職は先ず以てご聴聞をしていませんから、花が何故歓喜光仏なのか質問されてもシドロモドロ。まともな答えは出てきません。教覚寺ほどひどくは無いにしても似たような住職が西本願寺で九割。大谷派で六割。それが実態です。

今後一気に寺離れが加速するでしょう。でも立華をきちんと習得してご聴聞もしている住職は居られます。教覚寺のような坊主に布施は払ってはいけませんが真面目の住職の寺に換わることをお勧めします。人の不幸につけ込む商売に払う布施ほど無駄金はありませんからね。寺は自分が生き残りに値する者になりたければ立華をきちんと活ける事です。その立華は内陣の打敷の上に置いた瞬間から仏様の直説と受け止めてしっかり聞こえて来る声を聴聞する事です。聴聞の聴は素直な心で耳を澄ませると言う意味です。仏の心を味わう事のできる人だけが生き残ればいいのです。

浄土真宗に期待しますか?

西本願寺一割。大谷は四割。生き残りに値する寺の数。

面白には田川です。田川には二軒の法光寺井上住職が居られまして、どちらも大坊です。

私が善知識と仰ぐ寺は添田町の本願寺派の寺院。数少ない生き残りに値するお寺です。大坊が大乗仏教の目的と目標と手段をきちんと把握して居ると組もしっかりして皆さん住職が花を活けますが、逆に大谷はの法光寺の住職は花に全く興味が無い以前は母親任せ。今は坊守任せ。すると見習って三十五軒の大谷は寺院の内真面目に花を活ける寺は二軒ほど、花を活けない住職は花からご聴聞する可能性がゼロですから、仏に出遭う可能性もゼロです。

加えて打敷の謂われを知りませんから、問いに学ぶ学問の習慣が全くありません。こうなると人間は終わりです。花を活けない代わりに自分の頭の中をお花畑にしてしまっています。周囲にも類似の住職が集まって「次は誰を講師にして、何を話してもらおうか」と組を運営します。

すると、本人たちが全く何も解りませんし学問と勉強の区別もつきませんから大学教授を呼ぶケースが増えます。すると大学教授は文献主義ですから、花の前でご聴聞をしません。と言うよりも味わいを否定しますから余計に訳の解らない話しかできません。ますます混迷を深めてゆくのです。

どもこの頭の中がお花畑の住職は自信満々。同類神話で安心仕切っていますが、自分たちが訳がわからないどころか解らないと事が解らないレベルだと一般に知れた時は一気に消滅に向かうでしょう。

私が「貴方たちは正信偈を一行も説明できて居ないでしょう!」と言うと川崎町の密厳寺の若住職は「俺は正信偈なんか説明できなくても良いと門徒に言っている」と開き直り以上の発言をしていましたが、同類神話が多いからって、世の中嘗めているとそのうちに痛い目に遭いますよ。頭の中がお花畑がたとえ百人集まっても無力ですからね。

私には彼らが何故全く解らないのかその理由もすべて解っていますから、彼らに勝ち目はありません。自身が聴聞の価値に気づくまでは田川に未来はありません。

華厳経と浄土真宗は関係無いんじゃ無いのですか?

親鸞聖人は完璧に華厳経読み解き更にその華厳経を方便で視覚かした蓮華蔵世界観に対して宣説大乗無上法と誉め称え、龍樹の教えから浄土論を展開した天親菩薩に対して得至蓮華蔵世界と誉め称えて居られます。

その浄土論に対して注釈書を書いた曇鸞大師に対しては必至無量光明土つまり毘盧遮那仏はサンスクリット語ではヴェイローチャナ太陽のごとく光輝くと言う意味ですからこれも華厳経を意味して居ます。

その曇鸞大師を尊敬する善導大師は二河白道を書かせますが、これに対して善導独明仏正意と誉め称えて居られますが、実はこの二河白道の比喩は蓮華蔵世界観の書き換えヴァージョンなのです。

インド人には時系列の見方がありませんので常に今です。従って心が変われば住む世界が変わるから、上へ上へと登って行きかすが、中国人に解りやすく時系列の視点を取り入れて歩みに変えて頂いたのです。更に蓮華蔵世界観には見えないお釈迦様の姿を書き加えて私たちに命令して頂いて居る姿にして頂いて居るのです。

蓮華蔵世界観を格段に解りやすくして頂いたから、善導独明仏正意と誉め称えて居られるのです。

その善導大師を尊敬する法然は吉水教団で二河白道を使って絵解きをして居られます。還来生死輪転家 決以疑情為所止 これは法然が親鸞に絵解きをして教えて居る場面です。仏の教えを疑えば貪欲の渦や瞋恚の炎の中に落ちるか畜生道や阿修羅道に落ちると説明しています。

七高僧の中では道綽禅師のみが多生経路が違うくらいで六人は全て華厳経繋がりです。

 

立華と仏花の区別がつかない!

電話でのお問い合わせで必ず聞かれるのが立華と仏花の違いですね。

又、立華なのか立花なのか?

仏花なのか仏華なのか?

教如上人が東本願寺を建立した際のセンブツ法要(パソコンが変換不能)に際して池坊専好親子が丹精込めて立華を活けて居ますから、基本は池坊に求めるべきですが、途中から花小と呼ばれる方達が法要の華を担当するようになりましたので、それが影響して居ると考えられます。

特に東本願寺は四回も本堂が焼かれその度に本堂が大きくなりお荘厳も見直しが必要になりました。

そこで、徹底的にそぎ落とした池坊立華では巨大本堂では見えないので、面で捉えて行くようになりましたが、よく観察して頂くと、立華の要素を取り入れていますが、前置きの大きな違いがあることと役枝の呼び名が少し違ってきています。

例えば同じヒカエの発音でも池坊と花小では字が違います。

除真が軒真に変った点も違いと言えます。

前置きの数が中尊前が五本、それ以外は三本という違いもあります。

一番の違いは池坊を習った方は必ず立華は華厳経だと言われますが、花小は言いません。

真宗理解で最も大きな違いはここにあります。

得至蓮華蔵世界や必至無量光明土と出てきますから、親鸞聖人は華厳経に基づいて大乗仏教理解を深めて居られますが、そこを花小は言いませんので、訳の解らないお坊さんが増えてしまいました。

立華を立花と言いたがるのは花小の教えを受けた方です。

華厳経はそのタイトルが教えになっています。

雑華で仏の徳を称えて荘厳する。この華と荘厳の厳を取って華厳経ですから、真宗と華厳経は関係無いと思い込んでいる方には真宗が理解出来なくなってしまって居るのです。

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立華をお寺で使用しようとお考えでしたら、法要や報恩講、落慶法要、御遠忌等でも利用可能な高品質な商品を取り扱っている有限会社翔栄まで、ご相談ください。

当社では寺用の立華や仏具の取り扱いのほかに、建物等を長持ちさせることができる、ガラスコーティングも行っており、建築物をカビや汚れ等からお守りいたします。

このほか、当社に関することでお客様からいただく質問等にもお答えし、お客様の疑問を分かりやすく解消するよう努めております。

安心してご利用いただける商品をお客様にご提供している、有限会社翔栄をぜひ一度ご利用ください。

ACCESSアクセス

寺で使用する立華を取り扱っている当社は素晴らしい商品をご提供することができます

阿弥陀様の前の立華を販売している有限会社翔栄は、筑前庄内駅から車で5分程度の場所に位置しております。 仏様の前を飾る立華を数多く取り扱っている当社では、本物以上のクオリティーの商品をお客様にご提供しておりますので、気兼ねなくお問い合わせください。
店舗名 有限会社翔栄
住所 福岡県飯塚市筒野483-1
電話番号 0948-31-1688
営業時間 10:00 ~ 19:00
定休日 日曜日・祝日
最寄駅 筑前庄内駅

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