寺に使用する立華を扱う当社について寄せられる質問をご紹介します
寺に使用する立華を販売している当社では、お客様から寄せられる質問に分かりやすくお答えしております。
購入方法等、何かご不明な点がございましたら、こちらをご確認いただき、そのほかご不明な点については、気兼ねなく当社にお問い合わせください。
立華をお寺に飾ろうとお考えでしたら、本物以上のクオリティーで、ご利用いただいたお客様からもご好評の有限会社翔栄まで、気兼ねなくお問い合わせください。 当社はオーダーメイドのものから、お手入れ簡単なものまで、お客様のニーズに合わせた商品をお届けしております。 また当社では、お客様からご連絡をいただいた際、ご不明な点を解決できるよう丁寧な対応をしていることはもちろん、Q&Aのページでお客様からよくいただく質問にお答えしておりますので、ぜひ一度ご確認ください。
お釈迦様の勅命が阿弥陀様に向かって歩め!なのです。
お荘厳をしっかり学べば解りますが、お香と立華と蝋燭の炎はすべて仏様からの宿題です。
その宿題をきちんと取り組めばお釈迦様の本当の願いが解ります。
その本当の願いが成就したお姿が阿弥陀如来様です。
お釈迦様の悟りを表す言葉は正法眼蔵です。この言葉から法と蔵を取って法蔵です。
そして皆にお釈迦様の悟りを習得して頂くために知恵の眼を開いて頂くには何が必要なのか?その方法を考案しました。その誓願を建てた方が法蔵菩薩様です。
その法蔵菩薩が誓願が成就したので阿弥陀如来になられました。
それがウパーヤ(方便です)でありお荘厳です。
お荘厳によって仏様の願いを目に見えるようにした事で多くの皆さんにお伝え出来るようになりました。
これに依って大衆が皆さんお釈迦様と願いを共有できるようになりますよ!と言う教えです。
お釈迦様の本当の願いを大衆に知って頂き、それを実現するためには、お釈迦様の悟りを皆に習得していただか無くてはなりません。
その方法が方便です。方便によって知恵や中道や無碍の一道が何かを感覚的に理解して頂き、皆そろって仏様の願いが実現するように行動して行きましょう!と言う教えです。
坊さんの話が解らないのは坊さんに知恵が無いからです。知恵を身につけ無ければ立華に込めた仏の本願を読み取る事が出来ません。
知恵とは願いや悲しみ、喜びと言った目に見えない物を見る力ですが、華に興味の無い住職は念仏もご聴聞もしませんので、問いに学ぶ学問を一切しません。そのために知恵が身につかないから、立華に込められた仏の願いを汲み取って門徒の皆さんに伝える力が無いのです。立華の形には必ず意味があります。その意味を考えるとは意(こころ)を味わうことです。文献では決して味わう事は出来ない世界です。言い換えれば知恵とは目に見えない意味を知る力です。
仮に目の前に知恵のある人が説明しても、理解出来ずに主観、独断と決めつけます。勉強では知識は身についても知恵は決して身につきません。
特に西本願寺派は布教師が資格試験制度ですから、勉強の知識はついても知恵が全く身について居ませんので、どんなにお花に願いを込めても全く解らないから受け取ることが出来ずに、人間は生きては救われない話しか出来ないので、必然的に死んで往く浄土の話しか出来ないのです。
皆さんは不幸になりたくなければ西本願寺派の布教師の話は聞かないことです。
葬式にも決して呼んではいけません。本人が一番深い暗闇の中に居るのですから、こんな坊さんの話を聞いたりお経を挙げてもらったら、地獄行き間違いなしです。
最近は大谷派の住職の中にも立華に興味を持たない住職が増えました。立華だけがお荘厳では無いと言う言い分も有りますが、称名や雅楽は正信偈の喜びの表現であってお荘厳の要は立華です。
立華を含めた方便を宣説大乗無上法と誉め称えそれを堂衆の皆さんが讃歎している姿が表現されています。
あくまでご聴聞の要は立華です。立華から仏の悟りと願いを汲み取れるようになる事が機の甚深です。住職に知恵が身につかなければ立華に込められた願いを汲み取ることは出来ません。
では、知恵を身につけるにはどうすれば良いのでしょう?それは、ご自身が立華を駆使して願いを込めて見る事です。自分が華に願いを込めて見たら人が込めた願いにも気付く人になれるのです。
仏様の願いを立華に込めて頂いて居ることに気付くのは知恵のある住職のみです。
その仏の願いを立華に込めて頂いた事の凄さ、素晴らしさが解るようになる事で法の甚深が解る人になれるのです。
立華に興味の無い住職は例え東大卒でもウスラ馬鹿以下の頭の中がお花畑の不労者です。
大谷派は本来は御堂集が来て頂いた事で機の甚深は相続されて居る筈ですが、最近は立華に全く興味の無い頭がお花畑の不労者住職が急増しています。
世の中が行き詰まる最大の原因です。
知識だけ(観念論)の宗教は宗教では無いと言う事です。
知識と知恵の違いのコーナーでも書きましたが、摩訶迦葉尊者はお釈迦様の優しい言葉の意味つつまり真意を受け止めて衣を脱がれました。このお話から打敷は摩訶迦葉尊者の知恵を表し、更には打敷の上はお釈迦様の直説と言う大序仏教の大前提がセッティングされましたが、大乗仏教では更に、立華の中で正真という役枝を作り、その正真だけは正真前と言う華で隠します。華に隠された真意。優しい言葉に真意を味わう事が知恵です。本音が観えると書いて観音。知恵は本音を観る力です。
現在の講師の顔ぶれを見ると、大学教授や文献オタクばかり知識の豊富な人を呼んで話をさせれば良いと考えて居る寺ばかりです。知識を拠り所にする物は知恵が無いのです。そもそもお荘厳でしか伝わらない教えを活字で探して居る事事態が大変に愚かな行為です。
先日も赤羽別院周辺の寺を回りましたら、殆どの寺でお花は坊守の仕事になってしまって居ました。すると、住職には知恵が身につきませんから、知識で浄土真宗を伝えようとします。そこで地元の大学教授を呼んで法話をさせますが、当の大学教授は私が知恵とは何か?中道とは何か?と質問をすると、べそをかきながら「何も解らない真っ暗闇の住人です」と正直に言いました。
知識では仏の真意を受け止める事は絶対に不可能なのです。形に込められた意味を味わう力こそが知恵だからです。親鸞聖人は龍樹菩薩が書かせた蓮華蔵世界観に対して宣説大乗無上法と誉め称え、二河白道を書かせた善導大師に対して善導独明仏正意と何れも方便を駆使した方を誉め称えて居られるのですが、学者は誰一人二河白道の素晴らしさを口に出来ません。非常に頭が悪いのです。絵コンテから仏の心を受け止める力が欠落したウスラ馬鹿だから本ばかり読むのです。絵や立華から受け取る力が有れば喜んでお花を活けて居るはずです。何故なら、立華を駆使すればお釈迦様の悟りも願いも多くの方にお伝え出来るからです。
その人に知恵が有るか無いのかそれは絵コンテを説明させれば即解ります。活字オタクと大学教授は事絵コンテの説明と立華を説明させればウスラ馬鹿だと解ります。
心を味わう力が欠落した重度の味覚障害者に料理の説明をさせて居るのです。自殺行為以外の何者でも有りません。
今は知識ばかりをひけらかすウスラ馬鹿がお話しするから世の中が行き詰まるのです。お荘厳に限らず日頃から相手のちょっとした行為の意味。つまり意(こころ)を味わう事が大切なのに味覚障害者の話を聞けば聞くほど訳が解らなくなってしまいます。
その点西本願寺派は、布教師。同朋運動担当法中。教務所長。大学教授。本山職員。門主の全てが知識のみの方便説明力ゼロのウスラ馬鹿の金太郎飴になって居ますから、坊さん自身の救いようが有りません。西本願寺はお釈迦様の言葉通りに解釈すればもはや宗教法人の看板も返納すべきです。
経済の訳はエコノミックに対して経国済民と西周達幕府側の翻訳家集団が当てたものです。
日本には十六ヶ所の伝統的工芸品の指定を受けた所が有りますが、京都大阪は別として、鹿児島県の川辺を除いて全てが真宗大谷派が盛んな町です。
愛知県では名古屋壇と三河壇。滋賀県では長浜壇と彦根壇。新潟には白根壇と燕三条と二カ所の指定を受けています.石川県には金沢壇。富山には高岡壇や城端壇。全て大谷派のメッカです。何より芸術的な文化の発展している町は全て仏教文化の発展が礎になっています。実は無量寿の本当の意味は素晴らしいと言う意味なのです。寿と言う字は上に付ければ寿命と言う様に生命の長さを表しますが、したに付けると天寿を全うすると言う様に ことほぐ つまり褒め称えると言う意味になりますので、本当の浄土真宗が相続されれば必ず芸術的文化が発展するのです。
石川県と富山県は要注目ですね。高岡は前田利家のリードの元で鋳物技術が発展しますし石川県では輪島塗に加賀友禅。九谷焼などの芸術的文化が発展しています。無論京都は別格です。今でも西三河はマキタやトヨタ。デンソー。東レ等世界規模で活躍する企業が沢山有りますし、県民一人あたりの家電製品購入金額日本一は滋賀県です。これは家電製品のメーカーが沢山あるのでそこに従事する方も多く「今うちの会社ではこんなものを作っている」と情報交換も盛んになって町の電気やさんが今でも大忙しだそうです。
これには宗派が大きく影響しています。
その原因は西本願寺と東本願寺(大谷派)が別れた事です。
教如上人が徳川家康から布教の許可を頂いた時に御堂衆が西本願寺から大谷派に移ってしまわれました。これに拠って大谷派はお荘厳が相続されたのです。それは同時に機の甚深が相続された事を意味しています。
大谷派の本堂が完成した時の磚仏法要の際には池坊専好親子が丹精込めて立華を活けたとありますから大谷派と池坊は深い関係に有りました。私見ですが、御堂衆に大谷派に移るように仕向けたのは池坊専好では無いかと思っています。花戦の本当の敗北者は西本願寺と言う事です。
豊臣秀吉を心底嫌っていた池坊専好が秀吉と和睦をした西本願寺も嫌っていたとすれば筋が通ります。
西本願寺には機の甚深が相続されていませんが、蓮如教団ですから法の甚深と言う言葉だけは残って居ますから口にされますが、お荘厳が相続されなければ機の甚深が相続されませんから法の甚深に出会うこともないのです。
悲しいかな経済テロリストの様な価格破壊主義者は西本願寺一色の町から誕生しています。
その原因は西本願寺派の住職が日頃から「仏壇なんかは何でも構わない。俺たちは本堂に掛け軸と椅子があれば良いと思っている!」と言い続けた結果、本来の仏壇が九人の職人が一元の世界を表現したその作る工程そのものが浄土の荘厳だったことを表していることにも気づかないのです。
哀れ仏壇業界はピーク時には三千八百億円の売上を上げていたのが今や八百億円にまで縮小してしまいました。消えてしまった三千億円の売上は多くの伝統文化を消滅させ。職人の生活を破壊し、二度と再生する事は無いでしょう。
西本願寺の皆様の日頃の努力の賜物です。イギリスとアメリカと韓国と西本願寺派はプロテスタントなのです。世界でもプロテスタントの国が極端に行き詰まってしまって居るのです。
お荘厳という機の甚深が相続できるか否かはこれほどに重要なのです。機の甚深とは人としての謙虚さや柔和さに向上心に美意識の総称です。この機の甚深が醸成されなければ決して法の甚深に巡り合うことは無いのです。
物創り日本の礎はお荘厳の文化が育まれた町で花開いているのです。
頑張れ大谷派!お荘厳の破壊はモラルハザードに直結ですよ。
筑前の国は黒田官兵衛が西本願寺一色にしました。逆に筑後は有馬の殿様が大谷派一色にしました。その結果筑後は久留米絣や八女提灯。八女仏壇。籃胎漆器。イ草の花ござ。極めつけはギエモン物作りの神様の様な存在も久留米です。メーカーならブリジストンが居ますが筑前からは仏壇業界のテロリストが生まれています。
私の生まれ育った筑豊は飯塚市と直方市とその周辺には西本願寺しかありませんが、田川市と周辺には三十五軒の大谷派寺院が有りますが、お荘厳に興味がない。組長や役員に地域の大坊の全てが華に無関心。坊守任せ母親任せの頭の中がお花畑の皆さんが組を運営して居ますから意味不明の講師しか選出しない。筑豊が疲弊する原因はここにあるのです。遠賀川が一級河川のワーストワンになるわけです。
お荘厳が壊れたら機の甚深が醸成されませんからね。信は荘厳よりいず。とはそういう事です。
三つの意味があります。
一つ目は只単純に飾ると言う意味。
二つ目は仏様の願いは決して目には見えません。その目に見えないものを可視化する事です。別の言い方をすれば方便です。
三つ目はそうごん!つまり仏様の前に活けるお花は理屈抜きにそうごんで無ければなりません。
二番目の願いの可視化はとても重要です。それは飾ると言う意味からは浄土の荘厳になりますが、仏の願いの可視化ですから、立華は同時に本願成就の可視化を意味して居ます。
住職は法要に当たって立華を飾る事で浄土を荘厳すると同時に本願成就の荘厳をしているのです。
従って、この仏のご本願が何かを味わいで受け止めて皆様にお伝えする事が重要な責務になります。
それをお取り次ぎと言うのです。
今の住職は全く念仏もご聴聞もお取り次ぎ出来ていないから世の中が荒んで行き詰まってしまうのです。
世の中の行き詰まりの原因は浄土真宗が全く機能して居ないからなのです。
立華は浄土の荘厳と言われて居ます。それは同時に本願成就の荘厳を意味します。
本願が何かは立華から、問いに学ぶ学問に依ってしか絶対に辿り着くことはできません。
お勉強では絶対に辿り着く事はできません。だから有名な大学教授程このシンプルな質問に答える事ができません。
だから、愚かさ自慢をして、死んでいく浄土が有り難い話しかできなくなるのです。
死んでいく浄土なんか全く信じて居ないのが浄土真宗の坊さんです。
自身が全く理解出来ていないから人間の愚かさばかりあげつらって、死んでいく浄土が有り難い話をするのです。
仏を念じて居る時ですから、寺や仏壇で言えば打敷の上の三具足、これは仏の三大供養。つまり仏様が直接私たちに宿題を出して頂いて居るのです。
従ってここに仏様が居て下さると気付いた時が念仏です。更にこの仏様からの宿題に向き合って居る時がご聴聞して居る時です。人に依っては勅命と言う方も居られます。
つまり、最も大事な宿題であり、必須科目の宿題です。
卒業論文に当たるものです。
住職の仕事はこの卒業論文を門徒様の前で披露して審査を受ける事なのです。卒業論文ですから人によって受け止め方も違えば、味わい方も違って当然ですが、そこに仏様が来て下さって居る事をお伝えしなくては浄土真宗とは言えないのです。
お香と華と炎に仏様は願いを込めて私たちの所まで届けて下さって居るのです。三具足に込められた願いが仏様なのです。
華を活けない住職は念仏申した事もご聴聞したことも無いのです。
仏教研究の第一人者の中村元教授と雖も仏の供養に向き合わなければ只の物知りであり宗教家とは言えないのです。
念仏申す人だけが本願に辿り着くのです。
今は世の中が行き詰まってしまいました。それは、浄土真宗の坊さんが念仏申していないからです。
学者は坊さんでは無いのです。
仏壇の原点は蓮如上人が作りました。
蓮如上人は大変数多くのお名号を書かれて門徒の皆様に配りました。門徒はそのお名号を掛けて念仏道場として報恩講を営みます。蓮如上人の頃は掛け軸と三具足だけでしたが、今の本堂の作りになっていくのは江戸時代です。この時天台の荘厳を取り入れますが、本当の目的は教如上人と共に戦った軍需産業の方の受け皿になることです。太平の世の中に武器製造は困りものです。そこで寺がその技術の受け皿になったのです。
大砲鋳造技術は梵鐘に。鉄砲鋳造技術は花瓶や燭台に。築城技術は寺の本堂に。鍔職人は飾り金具に。甲冑職人は彫刻や漆職人に。芸術性の高い、付加価値の高い物を製造させます。梵鐘や花瓶は故意に難しい構造にして、高度な武器製造技術は維持して行きました。
この共に済われて行く事が第一の浄土の荘厳です。
第二の浄土の荘厳は芸術性の高い物を作らせる事です。
三番目は九人の職人が一元的に仏壇製造に携わります。一元の哲学の具現化です。
この三つの目的を果たすために寺には檀家を与えました。浄土真宗の第一のミッションは軍需産業の受け皿でした。
だから、激戦の地域ほど素晴らしい仏壇が売れています。そして、それは当然大谷はの盛んな地域になっています。大谷派の皆さんは教如上人と共に最後まで戦った方たちですから、成り行き上も軍需産業を支えますが、十一年早く和睦をした西本願寺には何のことやら関係が無いと思う方ばかりです。
だから西本願寺一色の町では、仏壇が安物しか出回りません。金仏壇のメーカーも広島と福岡が破壊者の出身地になっています。
九人の職人が一元的に芸術性の高い物を作り続ける事が平和のシンボルであり、発展性の象徴です。
浄土真宗の住職がお仏壇の目的を忘れるとき平和は壊れます。
華厳経が行き詰まりから抜け出す教えだからです。
EU諸国は行き詰まって居ます。更にイギリスとアメリカはとっくに行き詰まっています。
そんな中キリスト教では限界が有って抜け出せないがどうもお釈迦様の教えは宇宙の法則とも一致してどこにも矛盾が無い。
しかもその大乗経典の中でも華厳経が最も優れているようだと言う意見にたどり着いているのです。
しかし、華厳経だけを読んでも十分に大乗仏教の素晴らしさを理解することは不可能です。
大梵天王問仏決疑経で大乗仏教を展開するための場面設定を読み。
華厳経を大乗の処方箋として読み。
更にはそこに書かれている大乗を願うものには荘厳することを教えたと言う言葉に基づいて荘厳の代表である立華を見ながら無量寿経を効能書きとして読めば親鸞聖人の正信偈の喜びの表現が観えてくるでしょう。
親鸞聖人は本当に素晴らしい方ですね。大乗仏教の目的 目標 手段の全てを理解して頂いています。
西欧の方も本当の浄土真宗を理解できると良いと思います。
間違っても西本願寺には聞かないことですね。
如来のサプライヤーとして菩薩と方便が駆使された事です。
お釈迦様の悟りは一元の哲学と言われていますが、この一元の哲学を極論すれば一如です。一つの如く生きて下さい!これば仏の願いです。
この一如の世界から教えになって来ていただいたから如来様です。
如来の大悲と言いますが、悲しみと言う字は、非つまり鳥の翼を両方に引き裂かれた悲しみを意味しています。
そこでボーディサットーヴァ菩薩は仏の本当の願いを知ってそれをどうにかして大衆にも広めたいと願いました。
その第一人者がナールージュナー(龍樹菩薩)です。
華厳経に十住の表現など龍樹が関係したと思われる言葉が出てきますので、華厳経編集の第一人者では無いかと思われます。
この仏様のパプライヤーを親鸞聖人は菩薩と呼んで居られるのです。
そしてその難しい教えを大衆ですから文字も読めない方にでも理解して頂くために編み出された方法それがウパーヤ(方便)です。
仏の願いが解ってそれが成就した世界を證歓喜地生安楽と表現して居られます。
その證歓喜地生安楽を浄土論に書き換えて下さったヴァズヴァンドゥー(天親菩薩)と呼んで居られますし、天親菩薩に対して得至蓮華蔵世界と言って居られますから、華厳経の完成と解り易い表現に感謝されて居るのです。
大乗仏教が完成するには菩薩の存在と何よりもウパーヤ(方便)が確立しなければなりません。
そのウパーヤ(方便)を二十九の荘厳に表現して頂いた方が曇鸞大師。
親鸞聖人は天親菩薩と曇鸞大師からお名前を頂かれたと思われます。
そしてそのウパーヤの代表格が立華です。
浄土の教えの宗教は必ず方便としての荘厳を大切にするのです。
立華をお寺で使用しようとお考えでしたら、法要や報恩講、落慶法要、御遠忌等でも利用可能な高品質な商品を取り扱っている有限会社翔栄まで、ご相談ください。
当社では寺用の立華や仏具の取り扱いのほかに、建物等を長持ちさせることができる、ガラスコーティングも行っており、建築物をカビや汚れ等からお守りいたします。
このほか、当社に関することでお客様からいただく質問等にもお答えし、お客様の疑問を分かりやすく解消するよう努めております。
安心してご利用いただける商品をお客様にご提供している、有限会社翔栄をぜひ一度ご利用ください。
寺で使用する立華を取り扱っている当社は素晴らしい商品をご提供することができます
店舗名 | 有限会社翔栄 |
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住所 | 福岡県飯塚市筒野483-1 |
電話番号 | 0948-31-1688 |
営業時間 | 10:00 ~ 19:00 |
定休日 | 日曜日・祝日 |
最寄駅 | 筑前庄内駅 |
寺用の立華を数多く取り扱っている当社には数多くの実績があります
寺に飾る立華をお客様にご提供している有限会社翔栄は、筑前庄内駅から車で5分程度の場所に会社を構えております。 店舗販売等は行っておらず、全てご注文による受け付けのみとなっておりますが、定期的に商品の見学等を行っております。 寺で使用する立華を取り扱っている当社では、法要や報恩講、落慶法要、御遠忌等で使用可能な商品も販売しており、多くの公の場に納めている実績があります。 また、当社が行う建物のガラスコーティングは、カビやキノコの菌、腐食、虫害から木を守ってくれるだけでなく、食品基準に適応した安全性も保障されておりますので、保育園の遊具をはじめ、施設にも安心してご利用いただけます。 このほか、仏壇等も取り扱っておりますので、ご入り用の際は気軽に当社にお問い合わせください。-
ガラスコーティングの施工
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九州大谷短期大学様で教材としてご使用頂いて居ます。
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寺の建物はカビで一杯です。
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大きな本堂用の立華は現状既存の人工樹では表現不可能です。翔栄にお任せ下さい。
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放置されていた高級家具も生まれ変わります。
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八間九間の本堂には既存の人工樹では対応不可能です。
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本物の赤松を使った本格的は幹づくり立夏です。
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大切にしたい吉野杉の茶室もご覧の通り
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これでお内陣はメンテナンスフリーです。
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神奈川県の聞称寺様に於いて報恩講の講師をしてきました。
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何故二河白道の六道に坊さんの絵が描かれて居るのか?その意味は?
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報恩講法話の口述書進呈
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本格的幹作り立華