寺に飾る立花を販売している当社へのアクセス方法をご紹介いたします
寺に飾る立花に関するお問い合わせは、筑前庄内駅から車で5分程度の場所にある当社まで気兼ねなくご相談ください。立花をお寺用にお考えでしたら、高品質でお手入れしやすいものをご提供している当社まで、ご連絡ください。
寺に飾る立花をお探しでしたら、筑前庄内駅から車で5分程度の場所に位置している、有限会社翔栄をご利用ください。 寺用の立花を取り扱っている有限会社翔栄では、通年使用可能なものから、幹からオーダーメイド可能なものまで、幅広い商品を取り揃えております。
当社では商品を見学していただける機会も設けておりますので、お客様にはしっかりと当社の商品をご覧いただいた上で、購入を決めていただくことができます。 このほか、仏壇やろうそくの販売も行っておりますので、お求めの際は気兼ねなく有限会社翔栄までお問い合わせください。
寺で使用する立華を取り扱っている当社は素晴らしい商品をご提供することができます
店舗名 | 有限会社翔栄 |
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住所 | 福岡県飯塚市筒野483-1 |
電話番号 | 0948-31-1688 |
営業時間 | 10:00 ~ 19:00 |
定休日 | 日曜日・祝日 |
最寄駅 | 筑前庄内駅 |
寺用の立華を数多く取り扱っている当社には数多くの実績があります
寺に飾る立華をお客様にご提供している有限会社翔栄は、筑前庄内駅から車で5分程度の場所に会社を構えております。 店舗販売等は行っておらず、全てご注文による受け付けのみとなっておりますが、定期的に商品の見学等を行っております。 寺で使用する立華を取り扱っている当社では、法要や報恩講、落慶法要、御遠忌等で使用可能な商品も販売しており、多くの公の場に納めている実績があります。 また、当社が行う建物のガラスコーティングは、カビやキノコの菌、腐食、虫害から木を守ってくれるだけでなく、食品基準に適応した安全性も保障されておりますので、保育園の遊具をはじめ、施設にも安心してご利用いただけます。 このほか、仏壇等も取り扱っておりますので、ご入り用の際は気軽に当社にお問い合わせください。お寺に飾る立花をお探しでしたら、有限会社翔栄では、お花を生けて水を換えるだけで簡単にメンテナンスができる、見た目も美しい商品を取り扱っております。
当社では、法要のグレードに応じて真が選べる商品やオーダーメイド可能な商品、さらには通年使用できるタイプの商品も販売しております。
また液体ガラスによるコーティングも行っており、建築物をカビや汚れから守ることも可能です。
寺の立花に関することやガラスコーティングのことは、当社まで気兼ねなくお問い合わせください。
2018/09/25 | 無碍の一道を視覚化しました。 |
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2018/09/22 | 仏様の三大供養の要は立華です。 |
2018/09/22 | 立華は仏教の難しい教えを文字も読めない方にでも見れば解るようにした方便の極意です。 |
2018/09/06 | 寺用の立華を販売する当社は朴の活用方法もお伝えいたします |
電話でのお問い合わせで必ず聞かれるのが立華と仏花の違いですね。
又、立華なのか立花なのか?
仏花なのか仏華なのか?
教如上人が東本願寺を建立した際のセンブツ法要(パソコンが変換不能)に際して池坊専好親子が丹精込めて立華を活けて居ますから、基本は池坊に求めるべきですが、途中から花小と呼ばれる方達が法要の華を担当するようになりましたので、それが影響して居ると考えられます。
特に東本願寺は四回も本堂が焼かれその度に本堂が大きくなりお荘厳も見直しが必要になりました。
そこで、徹底的にそぎ落とした池坊立華では巨大本堂では見えないので、面で捉えて行くようになりましたが、よく観察して頂くと、立華の要素を取り入れていますが、前置きの大きな違いがあることと役枝の呼び名が少し違ってきています。
例えば同じヒカエの発音でも池坊と花小では字が違います。
除真が軒真に変った点も違いと言えます。
前置きの数が中尊前が五本、それ以外は三本という違いもあります。
一番の違いは池坊を習った方は必ず立華は華厳経だと言われますが、花小は言いません。
真宗理解で最も大きな違いはここにあります。
得至蓮華蔵世界や必至無量光明土と出てきますから、親鸞聖人は華厳経に基づいて大乗仏教理解を深めて居られますが、そこを花小は言いませんので、訳の解らないお坊さんが増えてしまいました。
立華を立花と言いたがるのは花小の教えを受けた方です。
華厳経はそのタイトルが教えになっています。
雑華で仏の徳を称えて荘厳する。この華と荘厳の厳を取って華厳経ですから、真宗と華厳経は関係無いと思い込んでいる方には真宗が理解出来なくなってしまって居るのです。
親鸞聖人は完璧に華厳経読み解き更にその華厳経を方便で視覚かした蓮華蔵世界観に対して宣説大乗無上法と誉め称え、龍樹の教えから浄土論を展開した天親菩薩に対して得至蓮華蔵世界と誉め称えて居られます。
その浄土論に対して注釈書を書いた曇鸞大師に対しては必至無量光明土つまり毘盧遮那仏はサンスクリット語ではヴェイローチャナ太陽のごとく光輝くと言う意味ですからこれも華厳経を意味して居ます。
その曇鸞大師を尊敬する善導大師は二河白道を書かせますが、これに対して善導独明仏正意と誉め称えて居られますが、実はこの二河白道の比喩は蓮華蔵世界観の書き換えヴァージョンなのです。
インド人には時系列の見方がありませんので常に今です。従って心が変われば住む世界が変わるから、上へ上へと登って行きかすが、中国人に解りやすく時系列の視点を取り入れて歩みに変えて頂いたのです。更に蓮華蔵世界観には見えないお釈迦様の姿を書き加えて私たちに命令して頂いて居る姿にして頂いて居るのです。
蓮華蔵世界観を格段に解りやすくして頂いたから、善導独明仏正意と誉め称えて居られるのです。
その善導大師を尊敬する法然は吉水教団で二河白道を使って絵解きをして居られます。還来生死輪転家 決以疑情為所止 これは法然が親鸞に絵解きをして教えて居る場面です。仏の教えを疑えば貪欲の渦や瞋恚の炎の中に落ちるか畜生道や阿修羅道に落ちると説明しています。
七高僧の中では道綽禅師のみが多生経路が違うくらいで六人は全て華厳経繋がりです。
西本願寺一割。大谷は四割。生き残りに値する寺の数。
面白には田川です。田川には二軒の法光寺井上住職が居られまして、どちらも大坊です。
私が善知識と仰ぐ寺は添田町の本願寺派の寺院。数少ない生き残りに値するお寺です。大坊が大乗仏教の目的と目標と手段をきちんと把握して居ると組もしっかりして皆さん住職が花を活けますが、逆に大谷はの法光寺の住職は花に全く興味が無い以前は母親任せ。今は坊守任せ。すると見習って三十五軒の大谷は寺院の内真面目に花を活ける寺は二軒ほど、花を活けない住職は花からご聴聞する可能性がゼロですから、仏に出遭う可能性もゼロです。
加えて打敷の謂われを知りませんから、問いに学ぶ学問の習慣が全くありません。こうなると人間は終わりです。花を活けない代わりに自分の頭の中をお花畑にしてしまっています。周囲にも類似の住職が集まって「次は誰を講師にして、何を話してもらおうか」と組を運営します。
すると、本人たちが全く何も解りませんし学問と勉強の区別もつきませんから大学教授を呼ぶケースが増えます。すると大学教授は文献主義ですから、花の前でご聴聞をしません。と言うよりも味わいを否定しますから余計に訳の解らない話しかできません。ますます混迷を深めてゆくのです。
どもこの頭の中がお花畑の住職は自信満々。同類神話で安心仕切っていますが、自分たちが訳がわからないどころか解らないと事が解らないレベルだと一般に知れた時は一気に消滅に向かうでしょう。
私が「貴方たちは正信偈を一行も説明できて居ないでしょう!」と言うと川崎町の密厳寺の若住職は「俺は正信偈なんか説明できなくても良いと門徒に言っている」と開き直り以上の発言をしていましたが、同類神話が多いからって、世の中嘗めているとそのうちに痛い目に遭いますよ。頭の中がお花畑がたとえ百人集まっても無力ですからね。
私には彼らが何故全く解らないのかその理由もすべて解っていますから、彼らに勝ち目はありません。自身が聴聞の価値に気づくまでは田川に未来はありません。